



江戸時代後期、天保3 年(1830 年~1832)頃に葛飾北斎が描いた46 枚の錦絵「富嶽三十六景」の1 つです。現在の「海ほたる」の辺りからの景色と言われています。安房(千葉県)や伊豆(静岡県)から、鮮魚などを運んでいた「押送り」の船が荒波にもまれる奥に富士山が描かれ、静と動の対峙が印象的な作品です。海外では「グレート・ウェーブ」と賞賛され、ゴッホやドビュッシーの創作にも影響を与えました。
富嶽“三十六景”ですが全部で46 枚あるのは、作品が好評で10 枚追加したためと言われており、その10 枚は裏富士と呼ばれます。
現在は東京国立博物館に現品が保管されていますが、山形美術館やすみだ北斎美術館でも見られます。
江戸時代初期、寛永(1633~1641 年)の頃に俵屋宗達が描いた屏風絵です。縦154.5cm×横169.8cm の大きな屏風全面が金箔で迫力満点です。もとは京都最古の禅寺「建仁寺」で所蔵され、現在は京都国立博物館に寄託しています。
右の袋を背負っている方が風神、左の太鼓を背負っている方が雷神です。現存する日本最古の書物、古事記によれば、日本神話の男神イザナギと女神イザナミの間に生まれたのが風神、イザナミが死ぬときに生まれたのが雷神と言われています。
昔の人たちは、台風は風神が袋を開くと起き、雷は雷神が太鼓を鳴らすと起きると信じており、こうした災害を鎮めるために祀っていたようです。
江戸時代中期、寛政6~7 年(1794~1795 年)頃に浮世絵師・喜多川歌麿が描いた錦絵で、寛政の美人3 人を描いた作品です。右下に浅草随身門近くの水茶屋の難波屋おきた、真ん中に吉原芸者の富本豊雛、左下に両国米沢町の高しまおひさが描かれています。
似ているようにも見える3 人の見分け方は家紋です。難波屋おきたは柏、富本豊雛は桜草、高しまおひさは桐が扇子やかんざしなどに描かれており、区別できるようになっています。
斎藤月岑の「武江年表」によれば、難波屋おきたが大人気だったとか。みなさん江戸時代の美人の条件「色白、きめ細やかな肌、髪がツヤがあり長い、口が小さくて紅い」に当てはまる美女だったのでしょう。
江戸時代後期、天保3 年(1830 年~1832)頃に葛飾北斎が描いた46 枚の錦絵「富嶽三十六景」の1 つです。「凱風快晴」という名ですが、その様子から通称「赤富士」として親しまれています。「凱風=南風」の吹く夏~秋にかけての晴れた早朝に、富士山が真っ赤に染まる現象が起こることがあり、その様子が描かれています。
この「赤富士」と似ている構図で描かれた絵が「山下白雨」、通称「黒富士」です。さまざまな角度から富士を描く「富嶽三十六景」の中でこの2 点は構図が酷似し、さらにタイトルに地名がない3 作品のうちの2 作品であることから、どこかの富士を描いたというよりも富士山の象徴的な姿を描いた2 枚という説もあります。
江戸時代初期、慶長8 年(1603 年)に出雲の阿国という女性の「かぶき踊り」が始まりでした。その頃は女性が公の場で舞台に上がることは仏教で禁じられていましたが、彼女が男装で踊ると大変に人気が出ました。
その後、遊女など女性による「女かぶき」、少年役者による「若衆歌舞伎」も盛んでしたが、風紀を乱すとされ幕府に禁じられると、青年男性による「野郎歌舞伎」が始まり現在の歌舞伎と近い形になっていきます。
「歌舞伎」の名前の由来は、常識にとらわれずに派手な装いで奇抜な行動をする人のことを「傾奇者」と呼んでいたことだと言われていますが、由来とは裏腹に、時代に上手に合わせることで生き残った伝統芸能です。
4 世紀頃の古墳時代の出土品にはすでに相撲人形があるなど、実に1500 年以上も前から行われていました。日本最古の現存する書物である「古事記」や「日本書紀」にも相撲の話が残っています。
はじめは位の高い人々の娯楽でした。かの有名な織田信長も相撲大会が好きだったといいます。江戸時代頃から寄付集めに行う「興行」や、神社境内で行う「勧進相撲」など、徐々に庶民へも広まりました。
しかし、喧嘩に発展することもあり、政府から禁止令が出たこともあったため、決まり手や土俵、力士を養成する部屋制度などルールが定められていきました。土俵入り、化粧廻し、まげなど江戸時代と変わらない伝統が見られる魅力的なスポーツです。
京都は日本の歴史、文化、伝統、自然、食文化などさまざまな“日本らしさ”を体験することができる場所です。清水寺や金閣寺のようなユネスコ世界文化遺産が数多くあることはもとより、京都の人々の日常生活からも日本らしさを感じることができます。
例えば舞妓さんや着物姿の人の往来や茶道、華道、書道などの伝統文化、和菓子や抹茶、京漬物、懐石料理などの食文化など、「日本と言えば」と言える日本の代表的文化がそろい踏みです。
自然豊かである点も、京都の魅力的な街並みをつくっています。文化遺産の周辺も自然が豊かで、日本の四季折々の風景と合わせて楽しめるのが魅力です。
日本のお寿司は、新鮮な魚やシーフードを酢飯と組み合わせた料理です。
代表的なスタイルには、にぎり寿司、巻き寿司、ちらし寿司があります。特に新鮮さが大切で、地域によって使う食材やスタイルが異なります。江戸前寿司は東京で発展した握り寿司が有名です。
寿司は醤油やわさびを添えて食べることが多く、手で食べるのも一般的です。
また、特別な場面やお祝いの食事としても楽しまれています。最近では、世界中でいろいろなアレンジが見られますが、伝統的な味を大切にすることが重要です。
招き猫は、日本の伝統的な縁起物で、幸運や繁栄を招くとされています。一般的には、片手を上げた猫の形をしており、上げた手の向きによって意味が異なります。右手を上げたものは金運、左手を上げたものは人を招くとされています。
招き猫の起源は江戸時代に遡るとされ、商売繁盛を願う人々に人気がありました。多くの場合、陶器や木製で作られ、白、黒、金、赤などの色があります。地域によってデザインや意味が異なることもあります。
今日では、家庭や店舗の装飾として広く用いられ、海外でも人気があります。招き猫は、日本文化の象徴として、幸運や友好のシンボルとされています。
蒔絵は、金粉や銀粉を用いて漆器を装飾する日本の伝統技法です。平安時代(794~1185年)に起源を持ち、漆の薄い層に金属粉をまき散らし、精緻な模様や画像を作り出します。
箱や皿、文房具などに多く使われ、自然や幾何学的なデザインが描かれ、季節感を反映することもあります。この技法は、各層の漆が乾いてから次の工程を行うため、高度な技術と精密さが求められます。
現代でも蒔絵はその美しさと工芸技術が評価され、日本文化の独特な一面を代表しています。
※この商品は「蒔絵」のデザインを模倣した商品で、漆工芸品ではございません
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